こんにちは、津島市で2分で根本原因を検出し、無痛で改善させる専門院、
津島げんき整体院の三輪です。
前回に続き、今回は大学卒業から治療家になるまでです。
大学在学中にレストランバーでバーテンダーのアルバイトをしていましたので、
将来は飲食店をやるのもいいかなと、漠然と考えていました。
ですが、昼夜逆転の生活や暴飲暴食の毎日でしたので、いくら若かったとはいえ
体は悲鳴を上げていたのでしょう、
20歳の頃”潰瘍性大腸炎”にかかってしまいました。
下痢や血便がひっきりなしに出ますし、下腹部が鈍痛で常に微熱が続きだるいのです。
医者からは、
『一生治らない病気です。だから一生薬を飲み続けなさい』
『この病気の人は、ガンになる確率が高くなります』
と言われていました。
なんで医者ってこんな希望のなくなるようなことを平気で言うのでしょうね?
この時期から医者や病院に対して不信感を持ち始めていました。
”潰瘍性大腸炎”はいわゆる難病で、未だ根本的な治療法が存在しない病気です。
下痢や血便でトイレにかけ込み、その真っ赤に染まった便器を呆然と眺めながら
『一生この病気と付き合っていかなければならない』
という医者の言葉が余計不安にさせるわけです。
飲食店を将来開こうと思っていた夢も、ここで潰えました。
こんな状態で飲食店なんて無理です。
さらに頭をよぎるのは、まともな職に就けないかもしれないということです。
会社に就職しても、毎日10回も20回もトイレに駆け込み、
微熱が続き、体力もなくなった人間を誰が雇うというのでしょう。
僕はそんな不安を抱えたまま4年間の大学生活を終えたのです。
夜のバーテンダーのアルバイトもやめて、食事に気をつけ、
なるべくストレスの無いように生活を変えたおかげか、病状も安定してきたので
心にも余裕が出てきました。
大学卒業後は、この病気でもできる仕事は何かと迷いながら興味のありそうな仕事を選び就職す
ることができました。
右脳開発の会社、車の営業マン、農業機器の会社など幾つか仕事を転々としましたが
上手く馴染むことができずに
「このままでいいのだろうか?」
「本当は何がしたいのだろうか」
と自問自答を繰り返し、自分の人生について考える日々が続いたのです。
病気になると、いろいろ自分と向き合うことになるので、
自分や人生について本気で考える良いきっかけっだたかもしれません。
小中高と自分で言うのもなんですが、
親の言うことは素直に聞き、学校も休まず通い、
可愛がられて育てられて来ましたし、それに対して疑問もなく
言われるままに生きてきましたので、自分というものが分からなくなっていたんでしょう。
何をしていいのか?
何が楽しかったのか?
何がやりたいのか?
自分のことなのに分からないんですね。
そんな状態でもやもやして過ごしていましたが、
そういえば、子供のときは
人体の不思議に興味があったことを思いだし、経絡、気、東洋思想といった
当時の自分の中では、謎に満ちた東洋医学を学ぼうと思い、
鍼灸学校に進むことを決意しました。
そして、この鍼灸学校に入学したことが私の人生のターニングポイントになりました。
そう、私の人生は、在学中に出会った恩師の
『潰瘍性大腸炎は東洋医学だったら治るよ』の一言で大きく変わっていったのです。
この言葉は
「私は治らない」という長年の呪いから私を解き放ってくれたのです。
鍼灸治療に加え温熱治療と食生活の改善など、試行錯誤を繰り返し
気づくと私は、潰瘍性大腸炎を克服していました。
しかも、完治するのにかかった時間はたった半年です。
たった、6ヶ月で10年も苦しんできた病気を克服することができたのです。
この経験は僕に自信を与え、卒業と同時に整体院を開業しました。
つづく